2010年11月28日
元プロレスラー星野勘太郎さん逝く。
元プロレスラーの星野勘太郎が11月25日に肺炎のため死去しました。享年67歳でした。
星野勘太郎は力道山時代の1961(昭和36)年に日本プロレスに入門し、今夏急逝した山本小鉄さんとのタッグチーム「ヤマハブラザーズ」で人気を得ました。
プロレスラーとしては小さな身体でしたが、そのファイトあふれる試合ぶりから突貫小僧のニックネームが付けられ、中堅レスラーとして活躍しました。
1995(平成7)年の引退後も魔界倶楽部の総裁として「ビッシビシ行くからな!」の決めセリフで存在感を発揮し、新日本プロレスのマットを盛り上げた星野勘太郎さん。本当に残念ですが、今はただご冥福を祈るのみです・・・。

1971(昭和46)年2月、東京後楽園ホールにて初来日のミル・マスカラスの日本デビュー戦の相手を務めた星野勘太郎。マスカラスのかっこよさが十分に発揮されたいい試合でした。

1970(昭和45)年11月、東京台東区体育館でアントニオ猪木と組んでニック・ボックウィンクル、ビッグ・ジョン・クインを撃破し、第1回NWAタッグリーグ戦に優勝しました。60分フルタイムで引き分けた後の延長戦の末での優勝でしたが、素晴らしい試合でした。

1986(昭和61)年9月、大阪府立体育館でUWFとのイリミネーションマッチに登場し、藤原喜明、前田日明、高田延彦、山崎一夫、木戸修らを相手に大いに燃えました。レフリーは盟友の山本小鉄。みんな若いです・・・。

日本プロレスの道場で厳しい練習に明け暮れていた若手時代の写真。コーナーマット上から厳しい目で練習を見つめているのがプロレス界の始祖でもある師匠の力道山です。
星野勘太郎は力道山時代の1961(昭和36)年に日本プロレスに入門し、今夏急逝した山本小鉄さんとのタッグチーム「ヤマハブラザーズ」で人気を得ました。
プロレスラーとしては小さな身体でしたが、そのファイトあふれる試合ぶりから突貫小僧のニックネームが付けられ、中堅レスラーとして活躍しました。
1995(平成7)年の引退後も魔界倶楽部の総裁として「ビッシビシ行くからな!」の決めセリフで存在感を発揮し、新日本プロレスのマットを盛り上げた星野勘太郎さん。本当に残念ですが、今はただご冥福を祈るのみです・・・。
1971(昭和46)年2月、東京後楽園ホールにて初来日のミル・マスカラスの日本デビュー戦の相手を務めた星野勘太郎。マスカラスのかっこよさが十分に発揮されたいい試合でした。
1970(昭和45)年11月、東京台東区体育館でアントニオ猪木と組んでニック・ボックウィンクル、ビッグ・ジョン・クインを撃破し、第1回NWAタッグリーグ戦に優勝しました。60分フルタイムで引き分けた後の延長戦の末での優勝でしたが、素晴らしい試合でした。
1986(昭和61)年9月、大阪府立体育館でUWFとのイリミネーションマッチに登場し、藤原喜明、前田日明、高田延彦、山崎一夫、木戸修らを相手に大いに燃えました。レフリーは盟友の山本小鉄。みんな若いです・・・。
日本プロレスの道場で厳しい練習に明け暮れていた若手時代の写真。コーナーマット上から厳しい目で練習を見つめているのがプロレス界の始祖でもある師匠の力道山です。
Posted by 島田市☆村松時計店 at 12:34│Comments(0)
│プロレス
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