2010年11月08日
全日本プロレスの名物レフェリー、ジョー樋口さん逝く



全日本プロレスの名物レフェリーとして活躍したジョー樋口さんが11月8日に享年81歳で亡くなりました。樋口さんは力道山存命中の昭和30年代に日本プロレスに入門し、現役引退後も外国人レスラーの通訳や身の回りの世話をしていました。
1972(昭和47)年にジャイアント馬場が旗揚げした全日本プロレスにレフェリーとして参加し、身ぶり手ぶりの大きなジェスチャアや、「ワッチャギブアップ?」という独特な言い方などで個性を発揮し、ファンに愛される名物レフェリーになりました。


馬場さん亡き後の2000(平成12)年、三沢光晴が旗揚げしたプロレスリング・ノアの役員を務め、GHCヘビー級選手権などのタイトルマッチの立会人を務めてきました。
8月に亡くなった山本小鉄さんに続いて、また1人のプロレス界の大御所が亡くなり、プロレスファンとして寂しい限りです。樋口さんのご冥福を心よりお祈り致します。
Posted by 島田市☆村松時計店 at 22:11│Comments(2)
│プロレス
この記事へのコメント
また、プロレス界の重鎮が一人この世を去りましたか...
ジョー樋口さんと同世代でまだご健在なのは
遠藤幸吉氏とユセフトルコ氏ぐらいでしょうか?
昭和のプロレス小僧としましては、こういったニュースを見るたび
なんともいえない寂しさを感じます。
享年81歳とのことですが、wikを見たら1929年生まれとなってい
るので、数えではなく満年齢ですね…ってことは私事でなんですが
今春、急性肺炎で突然逝ったウチの親父と同い年だぁ^^;
親父も大のプロレスファンで、私が中・高校生の頃は、愛知・岐阜地区に興行があると全日・新日の試合をよく観に連れて行ってもらったものです。その頃、活躍されていたプロレス関係者の悲報を耳にする度、親父と肩を並べてプロレス観戦したのは、もう遠い過去の出来事だったんだなぁ...と。シミジミ
ジョー樋口さんと同世代でまだご健在なのは
遠藤幸吉氏とユセフトルコ氏ぐらいでしょうか?
昭和のプロレス小僧としましては、こういったニュースを見るたび
なんともいえない寂しさを感じます。
享年81歳とのことですが、wikを見たら1929年生まれとなってい
るので、数えではなく満年齢ですね…ってことは私事でなんですが
今春、急性肺炎で突然逝ったウチの親父と同い年だぁ^^;
親父も大のプロレスファンで、私が中・高校生の頃は、愛知・岐阜地区に興行があると全日・新日の試合をよく観に連れて行ってもらったものです。その頃、活躍されていたプロレス関係者の悲報を耳にする度、親父と肩を並べてプロレス観戦したのは、もう遠い過去の出来事だったんだなぁ...と。シミジミ
Posted by hiro at 2010年11月09日 16:00
hiroさんへ
かっての昭和のプロレス黄金時代に活躍していた人たちの多くが
高齢になり、あのアントニオ猪木でさえ67歳になってしまいました。
私の父親もプロレスが好きで、金曜夜8時はだいたい2人で一緒に見ていました。
中学2年のとき、静岡駿府会館に2度連れて行ってもらい、
鉄の爪フリッツ・フォン・エリックと人間台風ドン・レオ・ジョナサンを見ました。
私にとっても遠い日の思い出です。
かっての昭和のプロレス黄金時代に活躍していた人たちの多くが
高齢になり、あのアントニオ猪木でさえ67歳になってしまいました。
私の父親もプロレスが好きで、金曜夜8時はだいたい2人で一緒に見ていました。
中学2年のとき、静岡駿府会館に2度連れて行ってもらい、
鉄の爪フリッツ・フォン・エリックと人間台風ドン・レオ・ジョナサンを見ました。
私にとっても遠い日の思い出です。
Posted by むらまつ
at 2010年11月09日 17:45
