2009年10月09日
プロレステーマ曲を10時間放送!10/12(月)NHK-FM






◆ NHKーFMホームページの10/12(月)の番組案内から抜粋 ◆
今日は一日『プロレス・格闘技テーマ曲』三昧。
力道山以来根強い人気を誇るプロレスの大会などにおいて選手の入場テーマ曲はいまや欠かせないものとなっています。
そこで今回はみなさんからプロレスや格闘技の選手たちの入場テーマ曲や選手にまつわる楽曲のリクエストを募集します。
また今回、番組企画の一つとして、“リスナーの皆さんが選ぶドリームマッチ”を募集します。
現実に行われた対戦カードでも、幻となったあのカードや夢のカードなど、あなたの観たい対戦カードとその入場テーマ曲を書いて、そのマッチメイクの理由やエピソードなどとともにお送りください。(対戦カード、楽曲は“メールフォーム”の“番組へのメッセージ”欄にアーティスト名とともにお書きください) 夢のマッチメイクをお待ちしています。
(例)幻のBI砲対決
アントニオ猪木VSジャイアント馬場
「炎のファイター(オリジナルバージョン)」/「王者の魂(オリジナルバージョン)」
(例)残された最強決定戦
エメリヤーエンコ・ヒョードルVSジョシュ・バーネット
「Enae Volare Mezzo」/「愛をとりもどせ!!」
★今日は一日“プロレス・格闘技テーマ曲”三昧(ざんまい)
★チャンネル NHKーFM
★放送日 :2009年10月12日(月)
★放送時間 :午後0:15~午後10:45(途中中断あり)
★“ミスター・プロレステーマ”鈴木修、 前田日明、小橋建太選手が出演予定です。
入場テーマ曲にまつわる逸話や思い出の入場テーマ曲について語ります。
★三沢光晴さんのコーナーもあります。
やるじゃないか、NHK!、すごいです、今から楽しみでワクワクしています。
この企画を考えた人、相当なプロレスファンとお見受けしました。
私はもちろん、10時間全部、永久保存版で録音します。
Posted by 島田市☆村松時計店 at 14:07│Comments(2)
│プロレス
この記事へのコメント
昔、一般家庭にTVが普及していない時代
街頭TVで、力道山の試合に日本国民が熱狂したとか?
当時、放映していたのがNHKというから驚きです。
当時は民放局も少なかった(無かった?)からでしょうか?
力道山が不慮の死を遂げたのは、私が3歳ぐらいの時で
記憶にありませんが。。。
レスラーの入場テーマ曲が採用されたのは、昭和51、2年頃の
ミル・マスカラス入場時の「スカイ・ハイ」が最初だったと
記憶しています。当時レコード店に「スカイ・ハイ」のEPを
買いに行きました。
猪木の「炎のファイター」のB面は、A面の曲に詩を付けて
当時の妻、賠償美津子さんが歌っていました。
この曲のオリジナルは「イノキ・ボンバイエ」ではなく「アリ・ボンバイエ」でしたね。一体、いくらでアリから曲の使用権を買ったんでしょう?(笑)・・長々とすみません<m(__)m>
昭和プロレスの話題になると、つい・・・
街頭TVで、力道山の試合に日本国民が熱狂したとか?
当時、放映していたのがNHKというから驚きです。
当時は民放局も少なかった(無かった?)からでしょうか?
力道山が不慮の死を遂げたのは、私が3歳ぐらいの時で
記憶にありませんが。。。
レスラーの入場テーマ曲が採用されたのは、昭和51、2年頃の
ミル・マスカラス入場時の「スカイ・ハイ」が最初だったと
記憶しています。当時レコード店に「スカイ・ハイ」のEPを
買いに行きました。
猪木の「炎のファイター」のB面は、A面の曲に詩を付けて
当時の妻、賠償美津子さんが歌っていました。
この曲のオリジナルは「イノキ・ボンバイエ」ではなく「アリ・ボンバイエ」でしたね。一体、いくらでアリから曲の使用権を買ったんでしょう?(笑)・・長々とすみません<m(__)m>
昭和プロレスの話題になると、つい・・・
Posted by hiro at 2009年10月09日 22:53
hiroさんへ
>昭和プロレスの話題になると、つい・・・
私もおんなじですから・・(^0^)
力道山が急逝したのは昭和38年12月、私が7歳のときでした。
力道山の最後の試合が開催されたのは浜松市体育館で、
白覆面の魔王・ザ・デストロイヤー組とのタッグマッチでした。
ミルマスカラスの「スカイハイ」、なつかしいですね~
マスカラスの初来日は昭和46年2月のダイナミックシリーズ、
日本デビュー戦は後楽園ホールでの星野勘太郎とのシングルマッチでした。
その後の活躍ぶりは・・・言うまでもありませんね。
炎のファイターのB面に賠償美津子さんの歌が・・・
すっかり忘れていましたが、そうだったんですね。なつかしいです。
猪木と賠償美津子の結婚式は昭和46年11月、その前日に猪木は
坂口と組んでNWAタッグリーグ戦を制し、春にはUN選手権も獲得
するなど、まさにわが世の春、日本プロレス時代の絶頂期でした。
そのわずか1ヶ月後に、日本プロレスを追放されることになるとは
思いもよらず、猪木にとっても日本マット界にとっても忘れえぬ年になりました。
>昭和プロレスの話題になると、つい・・・
私もおんなじですから・・(^0^)
力道山が急逝したのは昭和38年12月、私が7歳のときでした。
力道山の最後の試合が開催されたのは浜松市体育館で、
白覆面の魔王・ザ・デストロイヤー組とのタッグマッチでした。
ミルマスカラスの「スカイハイ」、なつかしいですね~
マスカラスの初来日は昭和46年2月のダイナミックシリーズ、
日本デビュー戦は後楽園ホールでの星野勘太郎とのシングルマッチでした。
その後の活躍ぶりは・・・言うまでもありませんね。
炎のファイターのB面に賠償美津子さんの歌が・・・
すっかり忘れていましたが、そうだったんですね。なつかしいです。
猪木と賠償美津子の結婚式は昭和46年11月、その前日に猪木は
坂口と組んでNWAタッグリーグ戦を制し、春にはUN選手権も獲得
するなど、まさにわが世の春、日本プロレス時代の絶頂期でした。
そのわずか1ヶ月後に、日本プロレスを追放されることになるとは
思いもよらず、猪木にとっても日本マット界にとっても忘れえぬ年になりました。
Posted by むらまつ at 2009年10月10日 09:27